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映画ドロップ 不良とヤンキーの違い 本当に不良に憧れますか? フィクションだからこそ許されます

メディア作品から見る『不良』と呼ばれる偶像について

ヤンキー作品鑑賞

    映画ドロップ

    映画ドロップ

    漫画や小説、テレビドラマやアニメ、そして映画作品と、それぞれにおいてテーマにしやすい題材というものは常にあります。どんなものが安定して万人受けしやすいのかというと、やはり現実的に共感やこんなこと実際に体験することもある、といった日常生活に身近なことだったりしないでしょうか。その中に含まれる一つのテーマとして『不良』という題材を取り入れている作品も多く存在しています。ただそういった作品を見たからと言って、不良に憧れて実際に自分が不良になるために非行に走る、という人も悲しいことにいるでしょう。ダメとはいいません、無責任な言い方をすることになりますが、する覚悟を持っているというなら後は自己責任、という考え方をする人も多いのではないでしょうか?私もそんな考えをするときもありますが、一概にも憧れからする、ということでもないでしょう。人によっては根本の原因となることは異なっています。なので、必ずしも不良を目指しているわけではなく、初めから不良として道を歩むことになる人もいるのではないでしょうか?

    そんな不良少年・少女を題材にしている作品が多く存在している中で、初めに紹介するのはお笑コンビ品川庄司の品川佑さんが原作を監督している『映画 ドロップ』についてお話をしていきましょう。

    あらすじ

    まずは簡単にあらすじから説明していきます。

    私立の名門に通っていた主人公のヒロシは不良に憧れて、公立の狛江北中学に転校を決める。転校先ですぐさま、赤い坊主頭にボンタン姿になった見かけだけの不良になったヒロシは、すぐに不良たちに目を付けられて呼び出しを食らうことになる。指定先の河川敷にいたのは極悪非道として知られているカリスマ不良の達也だった。ヒロシはそんな筋金入りの不良の達也とタイマン勝負をすることになるも、予想通りというかまるで歯が立たずにボコボコにされてしまう。ところがヒロシの根性と口がうまい性格を気に入った達也に気に入られたおかげでヒロシは、念願叶って不良グループの仲間入りを果たすのであった。グループのメンバーは、クールな森本、狂犬の異名を持つワン公、盗みの才覚を持つルパン、さらにそこへ狛江西高校のテルも加わって、喧嘩や悪さ、くだらないおしゃべりに明け暮れる日々が続くのであった。そんなヒロシのことを、姉のユカの恋人で、工事現場で働いている元不良のヒデは優しく見守っていた。博は達也の彼女であるミユキに密かに惹かれるようになってしまうも、中々その先に踏み出すことが出来ない。達也はミユキ以外とも遊んでいたこともあり、ミユキ紀は捨てられてしまう。そんなミユキを慰めるも、傷心を慰めようとしてか、彼女の心を感じ取ってか、自分の思いを伝えようと思いもしたが、今までの自分達以上の関係になろうという風には言えなかった。

    1年が過ぎたころ、最大の敵だった調布南中学校の赤城や加藤らとも和解して、無事にヒロシ達は卒業を迎えるのであった。卒業式も相変わらずサボろうとしていたヒロシや達也は、ヒデの車に乗せられて式に出席することになる。卒業式が無事に終わると、ヒロシはミユキに告白するもあっさり玉砕、傷心してしまうのであった。

    春には高校生になったヒロシも学校で問題を起こしてしまい、初日で学校を退学処分にさせられてしまうのであった。フリーターになってしまったヒロシは、ヒデの伝を頼りに工事現場で働くことを決める。仕事始めとなる初日、達也に呼び出されることになったヒロシは、仲間にピンチが迫っているということを聞いて、姉の静止を振り切って仲間の元へ向かうのだった。その後何とか仲間を助け出すことに成功したヒロシが帰ったとき、憔悴しきっていた姉の姿がいた。どうしたのかと見て見ると、そこには静かに目を閉じて息を引き取っているヒデの姿があった。工事現場の事故で転落してしまい、そのまま帰らぬ人となった。

    その後、ヒデの死を契機としてヒロシはどこか違う場所で一人暮らしをするとして、今まで住んでいたところから旅立っていくのだった。

    作品から見る不良について

    ストーリーとしてはこんなところだ。この話は品川佑さんの自伝的フィクションとして語られているが、ほとんどは彼の実話に基づいていないという情報もある。詳しいことを書くわけではないが、この作品ではとにかく原作者の不良という青春群像に対する憧憬が鮮明に表現されているのは良く理解出来る。不良という存在がどれだけまぶしいものなのか、自分がどれだけ格好いいものなのか、というメッセージは伝わっているがそれが全てという表現は正直どうかと思う。

    不良という存在になるのは、それぞれ原因となる根本は違っていると説明したが、作者である品川さんは世間的に見れば恵まれていた家庭に育っていた。母親は美容かとして講演会も開くほど精力的に活動し、既に個人となっている父親は某会社の取締役を務めていたこともあるという、金銭的にも立場的にもいいほうだった。それが不良という存在に羨望のまなざしを送るようになったのは、自分がそういった出来ている環境に立っているからこそ、自分にはない物を持っているからという理由ではないだろうか。ないものねだりをするのは、人としては間違っているわけではないが、半端な気持ちでそんな世界に入って行こうとすれば、今まで作られた世界でしか見ていなかったアウトローの世界に立つと、いかに自分が甘い考えを抱いていたのかという現実を思い知らされる。

    極論な立場を考えて考えてみよう。例えば品川さんが生粋の指定暴力団、一般的なヤクザの家柄に生まれていたとすれば彼はれっきとした紛れもない本物になっていたことだろう。まがい物ではなく、純粋な培養液で育てられることになる環境の中では、仁義という言葉の下で英才教育を受けることになる。必然的に、世界の裏側を見ることになる家の中で、子供は世界の不条理をその眼ではっきりと焼き付けることになれば、その辺にいる自分の同い年の子たちとは達観した、いや真実を知った少年は必然的に怖いものはないことを知る。ただ少年時代からこうした考えを持つようになるのは中々いないだろう、それこそ将来的にとんでもない大物になることは間違いない。それでも世間一般的な家庭を比べたら、そんな家庭で生まれた子供は偶然などではなく、それが当然のように人とは違う道を歩くことになる。

    この作品の中では本物といえる存在はいないだろう。人はそんな簡単には死なないと達也が劇中で語っているが、心からそう思っているのであればそれは間違いだ。簡単に死なないというのは、それは殴る場所、そして損傷することになる箇所が致命傷にならないところを打撃して、といっても力加減によってはショック死ということもある。命がどれほど簡単に失われることになるのか、理解していない瞬間を感じる。作品に対しては否定的な意見を述べることになるが、人の命がいかに脆く壊れやすいのかというメッセージが足りなかったのではないだろうかということで、私個人としてはこの台詞を言っているだけで、作品に対しては好印象を思わせる評価を贈ることはできないだろう。そもそも個人的な意見としては、世間一般とは違う行動をして目立とうという、不良の考えは理解できない。

    キャスト

    主要人物

    信濃川 ヒロシ(しなのがわ -)
    演:成宮寛貴
    井口 達也(いぐち たつや)
    演:水嶋ヒロ
    森木 隆(もりき たかし)
    演:波岡一喜
    ワン公/山崎 秀樹(やまざき ひでき)
    演:若月徹(若月)
    ルパン/安城 豊(あんじょう ゆたか)
    演:綾部祐二(ピース)

    狛江北中・教師

    田丸(たまる)
    演:藤本敏史(FUJIWARA)

    調布南中

    赤城 亨(あかぎ とおる)
    演:増田修一朗
    加藤 宏次郎(かとう そうじろう)
    演:レイザーラモンHG

    調布東中

    スーミン/住田 清彦(すみだ きよひこ)
    演:SUGURU

    狛江西中

    テル/石川 照美(いしかわ てるみ)
    演:坂本雅仁(アホマイルド)

    信濃家

    姉 / 信濃川ユカ(しなのがわ -)
    演:中越典子
    演:田島令子

    その他の登場人物

    木村 ヒデオ(きむら -)
    演:上地雄輔
    みゆき
    演:本仮屋ユイカ
    達也の父
    演:遠藤憲一
    江藤
    演:哀川翔

    スタッフ

    • 原作・脚本・監督:品川ヒロシ
    • 監督補:西山太郎
    • アクションコーディネーター:諸鍛冶裕太
    • 音楽:沢田完
    • 主題歌:湘南乃風 『親友よ』
    • 製作:『ドロップ』製作委員会(角川映画、吉本興業、NTTドコモ)
    • 配給:角川映画